酒呑地蔵尊
酒呑地蔵尊




もと渋谷区本町(ほんまち)5丁目2番13号の和泉川(神田川笹塚支流)跡にある石橋(地蔵橋)のほとり(本町小学校の向い)にあったお地蔵様。
昔は、本村(今の本町)の地蔵様(本村地蔵尊)と呼んでいたようである。また、俗に酒呑(さけのみ)地蔵と呼んでいる。別名、子育地蔵。
本町から清岸寺の境内に遷座(せんざ)してお祀りすることになり、平成23年(2011年)1月10日に本町にて撥遣(はっけん)法要を修し、同年の2月19日に清岸寺にて開眼法要を厳修した。

(以下、渋谷区教育委員会の説明板)
「酒呑地蔵 幡ヶ谷二丁目36番1号
この地蔵は、江戸時代の宝永五年(一七〇八)にたてられ、別名を子育地蔵ともいわれますが、つぎのようないい伝えがあります。
むかし、四谷伝馬町に住む中村瀬平という者は、故あって成長の後に家を出て幡ケ谷村の農家に雇われて農作業や子守りなど一生懸命に働いたといわれています。
瀬平の勤勉さに感心した村人は、三十一才になった正月に彼を招いてご馳走したところ、ふだんは飲まない酒によった瀬平は川に落ちて水死しました。
瀬平は村人の夢まくらに現れて、この村から酒呑を無くすために地蔵を造ってほしいと願ったので、村人たちは早速一基の地蔵を建立し、酒呑地蔵として伝えて来ました。
渋谷区教育委員会」