地蔵の正面に「延享四丁夘天 六十六部供養 十一月廿四日 願主 空心」とあることから、
延享四年(西暦1747年)に空心という者が六十六部供養として造立したことがわかる。
「六十六部」とは、単に「六部」ともいい、全国六十六ヶ国の霊場に巡拝して、
納経(写経した経典を奉納すること)をしたり、
もしくは納経札を納めたりして、功徳を得ようとする六十六部廻国聖のこと。
江戸時代には、廻国の途中で村の堂庵に定住することがあり、
村人に勧進して「六十六部廻国供養塔」などと刻された石碑を立てたり、
巡礼を達成したことを記念して供養塔を立てたりしたという。