(以下、渋谷区教育委員会の説明板)
「この追慕碑は、幡代小学校の前身である白水分校の教員で、幡代小学校の開校と同時に教員として迎えられた水上忠蔵先生の教え子が、明治四十五年(一九一二)四月七日に建立したものです。
 このたび、幡代小学校の開校百三十周年にあわせて説明板を設置しました。
 先生は、幡代小学校の開校と同時に教員として迎えられましたが、生徒の指導はもとより、校長をよく補佐し、幡代小学校には、なくてはならない存在でした。
 また、教育に関しては、とても厳格であったようです。先生の没後、二十余年を経過しましたが、教え子たちは先生に対する尊敬や親しみを思い出し、それを後輩たちに残すことを目的として、清岸寺の境内にこの追慕碑を建立しました。
 先生は、明治二十四年(一八九一)一月十八日に六十一歳で亡くなりましたが、先生と生徒の結びつきや愛情の深さを知ることができます。
 渋谷区教育委員会」